多様性を限界まで認めた先に、次のアタリマエが見える。

ライフスタイル

どうも、さかき (@sakaki3mm) です。
こんばんは。

「多様性」の話をしたいなって思います。

いつからか分からないけど、
わたしはいろんな物事をフラットに見てる
と自分では思ってます。

人生最大の汚点は、
当時親友だった彼女に、
「正義」なのか「正論」なのかは
わからんけど、
それを押し付けてしまったこと。

でも、
それで分かったんだ。

どんだけお互い伝えあったって、
お互いが納得できない結末があるんだって。

そう。
そうして
わたしは「多様性を認める」
というところに達したんだ。

だから、彼女のことは、
いまでも大事に思うし、
彼女の想いは認める。

そうなんだ。って。

でもその上で、
わたしはわたしの考えがあるし、
想いがある。

いろいろあって、
彼女とは「いまは」疎遠だ。

彼女がわたしを認めてくれた時に、
はじめてお互いが多様性を認めた
ことになると思うんだ。

そう。

なんか矛盾してるように感じる。

「多様性を認めない」
という思想もいわゆる多様性の一部だ。

でも、
認めない人と、
認めた人では、
「認め合えない」

伝わるかな?

認め合えてこそ、
第一歩になるわけだ。

そんなわけで、
今日はTEAL組織ってのを勉強してきた。

2018年1月に日本語訳として出版され、
当時話題になっていたような気がします。

ヒエラルキー型ではなく、
ティール型へ、と。

人には本来、
上も下も右も左もない、
とわたしは思っている。

でも、いつしか、
それが身についてしまっていく、
のが今の日本の教育なんだ、
ともわたしは思っている。

第一に家庭内でも
親と子、
というように、
上下関係がうまれる家が存在する。

そう、
我が家のように。

そんなに大したことではないのだけども、
親が、今日はここへいくよー!
って言ったら、それが実行されていた。

わたしに、
選択権は存在していなかった。
たぶんね。

そうすると、
親は絶対的権力者になりうる。
子はそれに従事するもの、となる。

学校教育でも同じだ。

なにかと話題になる、
小学校の宿題。
その学年に見合わない回答をするとバツになる、
ってやつ。

わたしから言わせりゃ、
それを認めずして、
教育者を名乗ってくれんな、よ、と。

教育も育児と同じで、
ヒエラルキーではなく、
ティールに向かうのが、
次のアタリマエになる。

といいな。
おしまい!

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